始めて見た“あれ”は、いつ見たんだったろう。
とりあえずその時、“あれ”は確かに血にまみれていた。首とか腕とかが欠けていたりもしたと思う。
だけど、あの時あたしの見たそれは、静かに目を閉じていた。
白い花と薄紅い花に囲まれて、ただ、静かに。
『Death is….』
“あれ”なんて飽きるくらいに見てきた。この世界に来てからは毎日のように、当たり前みたいにどこかにそれが転がっていて。
けど、だからというわけでもないかも知れない。だってあたしは初めて見た時から、驚愕も放心もそれほどしなかったのだから。ただそれを“あれ”と、“死体”、と認識して、それから次の行動へ映った。サスペンスドラマのヒロインみたいに泣き叫んだり、ましてやなにかのホラーみたいに吐いたりなんて、全然しなかったんだ。
仲間は出来た。でもその皆が生まれた時からここに住んでいて、ごくごく自然にあれに慣れていた。慣れていて普通なんだ。だってこれが日常なのだから。
だからあたしもそれを普通に思っていたのだけれど、ある時家に帰ってふいに気付いた。
どうしてだろう・と。
きっかけは些細なことだ。久々に弟の草太と買い物へ出かけて、その帰り。
「あっ。」
小さく弟が叫んで、あたしもどうしたのと言いながら弟の見ている方向を覗き込む。
「あ……」
そこにあったのは、小さな“あれ”だった。手の平に乗りそうな、小鳥の“あれ”。
車にはねられたのだと思う。羽根がおかしな方向へ折り曲がっていた。
「可哀想にね。埋めてあげよっか」
なんとはなしに言う。戦国ではもう数え切れないくらいやってきたことだ。まあ力仕事は無理だから、運ぶのはもっぱら犬夜叉・弥勒さま・珊瑚ちゃんで、特に前の二人。あたしの仕事のほとんどは土を運んで供えるお花を探して、だった。でも慣れた事であるのに変わりない。
だけどそのあとの弟の言葉にあたしは思わずはっとした。
「姉ちゃん。怖いね、死体って。」
「……え?」
こわい?これ、が?
死ぬのが怖い、というのなら解る。あたしだって恐い。特にあちらの世界ではいつも隣り合わせに背中合わせに死が在って、ふとした瞬間に目の前は真っ暗になりそうなんだ。
だけど、“過程”の死ではなく“結果”の死体が怖い、というのは…一瞬、全く、理解すら出来なかった。
「ね、そう思うでしょ、姉ちゃん。だってさ、こんなに冷たいんだ。固くて、動かないんだよ。」
弟は特に深く考えている様子もなかった。人並みに哀しそうに、だがそれ以上の感情は無い声で。
「ぼくさ、時々虫なんかの死体を見つけることあるけど、みんな決まってすごく固いんだ。そいで、ああ死んでるんだなーって思うんだけど、それと同じくらい怖いなぁって思うの。」
「……なんで?」
あたしが問うと、弟はきょとんとして言った。
「え?なんで、って…なんでだろ。ええとね、解んないけど、怖いんだ。…うーん、そうだなぁ。生きてる時はこっちがびっくりするくらい強い力でもぞもぞ動いたりするものも、死んじゃうとあんな細い足の一本一本までかちかちに固まって、ちっとも動かないでしょ。軽くて、だけど少しの重さはちゃんと感じられて、見た目も触った感じも何もかも、“生きてる”って証拠はいっぱいそろってるのに、その固さ一つで全部違うってあっという間に解っちゃう。それが怖いんだよ。なんでか酷く、怖くなる。」
そうしてじっとこちらを見つめて、
「姉ちゃん、あっちでたくさん死んだもの見てるはずなのに、そう思ったこと、無いの?」
あたしは、小鳥を手に持ったままで固まった。
そういえば冷たかった。冷たくて固くて、ううん、皮膚や質感なんかは全部ぐにっと柔らかいんだけど、動かそうとすると関節が動かないんだ。その固さは金属とも石とも何とも違う、独特の固さ。
言われてみれば怖いことのような気がした。あたしも、死ねばああなる。
だけど、あたしは気付かなかった。
初めて見た大量の血とか怖い妖怪とか、ひょっとするとお腹を食い破られたとかのために、そういった当たり前の感覚を麻痺させられていたのかもしれない。
仲間に、訊ねてみることにした。
「死体、ですか?」
「そう、死体。」
うーん、そうですねえ・と仲間の法師はうなり、それからほんの少し哀しそうな表情を浮かべて、
「…確かに私たちは、慣れてしまっている節がありますね。死に対してなんか、怖いと言ってても何も変わることはないんですし」
多分それは彼がこの十数年間必死で自分に言い聞かせてきたことで、言わせてしまったことが少し胸に痛かった。でもそういう気持ちをj人が口にする前に、彼は続けてしまう。
「…でも、死体を怖いと思うかごめさまの弟の気持ちも、解りますよ。仏教では諸行無常とか言って、全てのものは変わりゆくものであるとしています。そしてそれは正しいことです、多分。死んでからも少しずつ腐り、そして最後には土に還りますからね。でも、」
言葉を切って、
「…そこから先で、死者は、生きる時さえも変えると思うんですよ。動く時から、止まった時へね。」
少し、寂しそう。
「だから怖いんです、きっと。動いている時に生きる私たちにとって、止まった時に生き始めた死者はとても異質なものだから。普通、人は、異質なものを酷く怖がる。」
そうして、微笑んだ。そのあとで声には出さず、だけどしっかりと彼はつぶやく。あたしは唇を読んで、その呟きを知った。
“私は、死者にもなれない” 。
あたしは答えられなくて、ただ彼の瞳を見つめて、そしてその右手を握った。
また、仲間に訊いた。
「んー…そう、だな……」
仲間の退治屋はしばし考えた後、こう切り出した。
「あたしたち退治屋はね、仕事柄、毎日妖怪の死体を見るでしょう。あたしも小さい頃から見てきた。こんな風に、自分の装身具にだってしてるしね。」
荷物から覗く紅い肩当てを指で指す。
「だけど、怖いなんて思ったことはない。これからも思わないだろうね。毒が残ってるかもしれないとかまた息を吹き返すかもしれないとかそんな恐さはあるけど、それはかごめちゃんの言うのとはちょっと違うでしょ。それでね、なんで怖くないかって言えば、それはあたしたちの信念の結果だからさ。あたしたちは助けを求める人たちの願いを聞き、そんな人たちの平和を出来るだけ守る。そしてそれを成し遂げるだけの力があたし達にはある。これは信念で、誇りでもあった」
刀を磨く手を止め、愛おしそうにそっと撫でる。その刃の輝きの向こうに、もしかしたら懐かしい里を見ているのかもしれない。
「もちろん、犠牲になった人たちの死体を見れば心が痛むよ。でもそれも怖くはない。だってそれはもしかしたら明日の自分の姿も知れなくて、そしてそれをあたしたちはもうすでに生まれながらにして覚悟しているんだから。他の人には解ってもらえないかもしれないけど…少なくとも、あたしはそう思って生きている。命より優先すべきものがあるなら、あたしは迷わず捨てるだろう。優先すべきものを優先し、あたしはそのもののために死ぬだろう。」
そして、優しく微笑って、言った。
「かごめちゃんのためなら、あたしは死んでもかまわない」
その言葉があまりに真剣で、あたしはただ言った。そんなこと言わないで・と。
また、訊いた。
「死体、か?」
仲間の子狐はあからさまに表情を曇らせ、
「怖い。」
どうして・と問うと、少し泣きそうな顔でこう語った。
「おら、おかあが死んだときのことはあまり覚えておらん。でも一つだけ覚えてることがある。…おかあの腕じゃ」
思い出したのか、一瞬小さな体がぶるっと震えた。
「いつも暖かかったおかあの腕が、とても冷たく、固くなっておった。おら、あんなに哀しくて生きていないもの、触ったことがない。」
ほんの少し瞳を潤ませて、
「なあ、かごめ。死んだ生き物の冷たさというのは特別なんじゃ。なぜか、哀しいんじゃ。触るとな、氷なんかよりは全然冷たくないのに、他の何よりも冷たい気がするのじゃ。だからおら、怖い。死んだものに触るのは、とても怖い。…きらい。」
そして、最後に言った。
「かごめは、温かいままでおってくれよ。」
あたしはふっと笑って、そして抱きしめてあげた。
それ以外、何をしろって言うの?
最後に、訊いた。
「ああ?…お前、ときどきワケわかんねえこと言い出すよな」
仲間の半妖は不機嫌そうにそう言い、しかし答えた。
「よく解んねえけどよ、そりゃ多分、俺たちが生きたいっていつも思ってるからじゃないのか?」
特に真剣そうでもなく、なんでもなく。
「死ぬのが怖くて生きたい、っていうんじゃねえんだ。ただ生きたくて生きたい。生き物の本能だろ、これ。そうやって強く強く生きたいと思ってるのに、死んじまったものはその思いに逆らってるんだ。そういうものが少しでも近くにあると、なんだか不安になるもんさ。死体が怖いわけじゃない…死体の存在に不安になってるだけだ。」
そして言った。
「俺は、怖くなんか、ねえ。」
あたしは静かに微笑って、そうねと言った。
「娘さん。そこの、娘さん。」
かけられた声にはっと顔を上げる。そこには白髪の老人が微笑みを浮かべて立っていた。
「あんたも、うちの婆さんに花を手向けてはくれんかね。」
言われるまま、老人の向こうを見る。そこには棺桶らしい大きな桶があって、周りをたくさんの人たちが囲んでいた。みんな時々目頭を押さえ、しかし微笑っている。手には大きな花弁の白い花や紅い花。
「さあ。」
老人に手渡されたのは白い花。さざんかのような可愛い花。
ゆっくり桶に歩み寄る。中には、痩せた老婆が膝を折って入っていた。ぴくりともせず、瞼を閉じて、花に埋もれるように。
「この辺の習慣でね。死者はこうして桶に入れて、花を撒いてやるんだ。」
初老の知らない男が言った。その男を一瞬だけ見やり、そしてあたしはまた老婆に視線を戻す。
優しい顔だった。血の気は失せていても、他の死体と同じように冷たく固くなっていても、なぜか酷く優しく思えた。
だけど、怖かった。
初めて、死体を怖いと思った。穏やかすぎて、優しすぎて、なぜかひどく怖くて悲しかった。
知らず、涙が頬を伝った。
「娘さん?」
老人が、少し驚いたように、しかし静かに問うてきた。が、あたしは何も言わず、持っていた花を老婆の胸元に置いた。
あたしはその人を知らなかった。動いているのを見たことがなかった。
血の臭いは、しない。もちろん死肉の間をうごめく蛆虫も、たかる蝿や鴉なんてものも無い。
散っているのは紅い花、白い花。
匂うのは甘い花の香。
酷く優しくて酷く温かくて酷くありふれた光景なのに、どうしてだろう、あたしは泣いたんだ。
怖かった。悲しくて淋しくて胸が詰まりそうに苦しくて、そういうの全部ひっくるめてあたしは今「怖い」と思っている。
優しいもの、生きているものに囲まれているだけに、余計その“違和感”は際立って、強くあたしを締め付けた。
「大丈夫かい?娘さん。」
老人がほんの少し心配そうに話しかけてきたが、あたしは頬を拭うと微笑んだ。
「…なんでもないです。なんでも……、…おばあさん、優しそうな方ですね。」
「ああ……」
すると老人は目を細め、そっと桶の中を覗き込んだ。
「…何十年、連れ添ったか……先に逝かれちまったけど、でもまぁきっとあいつは幸せさ。こんなにたくさんの人に花を添えてもらってね、あんたみたいな可愛いひとだって泣いてくれたんだもの。…俺も、こんなふうに死にてえなあ」
最後の呟きはどこか語りかけるような調子で、それはたぶん死んだ人へのもの。
「…そう、ですか。……そうですね……」
あたしはどこか清々しいような穏やかな気持ちで、花に埋もれた老婆と微笑みながらそれを見やる老人とをずっと見つめていた。ずっと、ずっと。
死ぬのは、怖い。でもそれ以上に、哀しいこと。
そして死んだものたちが訴えかけてくるものはそんな一言では収められないくらいに大きくて、それらが膨らんで膨らんで胸をいっぱいに浸した時、その感情は良く解らない恐怖という形であたしたちを包んでしまうんだろう。
本当は怖くなんてない。じっと見つめて、それから静かに目を閉じて、すうっと一息吸えばきっと解る。
そうすれば心は信じられないくらいに澄み切って、落ち着いて、穏やかに流れ始めるだろう。
もしも誰か親しい人が逝ってしまったならその時は、そんな優しい気持ちになってから送ってあげよう。
あまり考えたくはないことだけど、でもあたしはそう思った。
今なら、草太の言った事だって、解る。
泊まらせてもらっている名主様の家に、涙で赤くなったままの瞳で帰ったら、犬夜叉が、勝手にどっかに行くな、とか、なんで泣いてんだ、とか言っていた。
あたしは、べっつにーと軽く言って、笑いかけてあげる。
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一人ずつ、犬夜叉たちにインタビュー(?)のところは七宝のやつのラスト以外は気に入ってます(小さい文字のとこは…七宝ファンの方ごめんなさいです どうしてかあの子は上手く書けません…;)
これは他のにも増してばしばし私の倫理観入りまくりで、思いいれも結構あったものなんですが…一年も二年も経つとね。さすがに価値観も変わってきてるので「あーこんなこと考えてたっけなぁ」とか思ったりします。今はこの頃に輪をかけて考え方が年寄りくさいです(あああああ)
かごめ嬢の一人称は結構好きなんですよー。ていうかあの子自体が可愛くて好きv